わらじを履く

わらじを履く

そう言えば一年ぐらい前、ここに落ち着いて「わらじを脱ぐ」とタイプした記憶が在る。その後、ほとんど山へも出かけずにキッチンにこもり、デブの素をひたすらこしらえて過ごしてきたようだ。季節が巡り、信州まつもとでも桜が咲いて散った。いま現在は、裏の果樹園の林檎の花が満開。らんまんの春を迎えている。

このサイトは、ごく一部からの被リンクを除き、とくに看板を掲げていない。またサーチエンジンにクロールされそうなワードもあまり使用していない。それでも覗いてくださってる方々は、Exciteで書くのをやめたimalpの野郎どこ行きやがった? と探してくださった方々と僕自身は心得ており、厚く御礼申し上げたい。

ここWordPressは悪くないのだが、僕のMac環境が古くスクリプトの動作などで投稿に難がある。だからあまり記事も増えなかった。なのでここに書くのをやめて、他所に移る。Exciteを去る時に僕は転居先を書かなかった。が、ここには書いても良いだろう。これからは

http://imalp.blogspot.jp/

にて、くっそ面白くもないことだけを書き続けるということは、お約束させていただく。タイトルも変えた。

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ある春の日の、ひるの酒。

ろくに休みも取れず、春の山遊びにも出かけられず腐っていると、熊太郎の奴から連絡が来た。

熊太郎は以前に小屋番仲間だった奴で、名前の通りの野郎だ。その熊太郎、ある春の土曜日の朝っぱらから僕の電話を鳴らし、一時間後に待ち合わせようと言う。名前の通りの野郎だから断りも拒絶も通じることなく、僕らはお昼前の城下町を歩いていた。蕎麦屋か寿司屋があったら、そこで昼飯を兼ねて酌み交わそうというくわだてである。

しかし、蕎麦なり鮨なりで野郎の胃袋を満たすことを考えると、出費という点で気が重い。上握りを五人前ぐらいは覚悟しておこうか…. そこまで追い詰められていた僕らは、いや、追い詰められていたのは僕だけだが、松本の城下町の中町という通りに立っていた。電線は埋設され、両側に古い蔵づくりの店々が建ち並び、工芸品や郷土料理などといった商いをしている。四季を通じて観光客がそぞろ歩いている通りだ。

中西屋

中西屋本店。

その辻のひとつに、蔵づくりの酒屋があるのを僕は知っていた。なぜなら数年間、朝夕この前を通って保育園への送り迎えをやってたからだ。そういえばあの酒屋、昼間っからお客が店先で飲んでた。常連には立ち飲みをさせるのだろうか? そうした記憶が甦り、思い切って覗いてみようとがらり戸を開けてみたのだ。

なにこれ最高。

 

熊太郎

熊太郎がくつろぐ店内の様子。

ちゃんとしたテーブルがあり、椅子まであり、清潔なコップが積み上げられている。奥には冷蔵庫に冷やされたビアもある。ウイスキーの瓶の量り売りもやってる。ラジオを聞いてた女将さんが快く迎えてくれた。

時計を見れば、間もなく正午だった。問えば、お昼から飲ませるよ、でももう良いよ。女将はそう言った。僕らは冷蔵庫から好みのビアを取り出し、柿の種とかベビーチーズとかそういうつまみを選んで女将に見せた。女将は、品物の定価を計算し、僕らは小銭を出して払った。ビアを重ねて日本酒に切り替え、焼酎やウイスキーを舐め始めた頃にはだいぶ酔ってきた。それでも二人で三千円ぐらいしか使っていない。なんと無駄のない飲み方だろうと、我ながら最高のチョイスが出来たものだと良い気分だった。熊の野郎を酔わせるのに三千円。野郎はまだ飲むだろうから、それでも五千円もあれば足りるだろう。安いもんだ、けっ。

熊の野郎、腹が減ったと言い出す。熊に乾きものだけじゃダメか。
こうして僕らは、ほろ酔い以上、千鳥足未満という至福のコンディションで路上に戻った。実は僕だけは満ち足りていた。でも熊が腹減ったと言うし。さてもう一軒、カフェみたいなところでビアでも飲み直して….

僕の意識が伝わったのか、熊太郎が「シャンパン飲もうよシャンパン」といきなり斬りつけてきた。うわなにお前熱あんの? 芋焼酎ぐらいしか飲まないくせに。しかし「シャンパンシャンパン」と五月蝿いことこの上ないので、やむなく一軒のカフェに席を取った。

「AU CRIEUR DE VIN」 ここは熊を連れてくるような店ではなく、可愛いあの娘と待ち合わせたり、和やかな午後を過ごしたりする場所だ。テーブルの向こう、あの娘の悩ましい視線に気付かない振りをする、そんな大人の僕に似合う店だ。

しかし野郎は、躊躇いも戸惑いもなく、自家製のパテとかチーズの盛り合わせとかを頼みはじめた。

自家製のパテ

チーズをつまむ熊

そしてプレミアムモルツを飲み干しながら、また騒ぎ始めた。「シャンパンシャンパン、シャンパン」

ワインリストを見ると、シャンパーニュの銘柄は見当たらなかった。が、ロワールのVouvray Sparkling “Bredif Brut”(ヴーヴレイ・スパークリング・ブレディフ・ブリュット)がある。おお、これはなかなかしっかりした好みのスパークリングだ。これに合わせたひと皿は…. おお、黒潮洗う伊勢志摩の海が育んだ、牡蛎。

オイスター

生でも、とあったが蒸し焼きにしてもらう。ぷるんぷるんのぶるんぶるんに張りつめた身は、鶏卵大。頬張るとその身から溢れ出たジュースが、海の恵みが響きわたり奏でられる。

その瞬間。眼がくらむ。

なぜか視神経をねじられたような錯覚が後頭部を疾る。こんな、意識が遠のく程の味わいに身を委ねながら、ロワール、ヴーヴレイのグラスを傾ける。ふたたび、また意識が遠のく。味覚、嗅覚の、僕のデリケートなスイッチが全力で叩かれる。弾かれる。翻弄され突き上げられ押しつぶされ、僕は牡蛎とロワールに敗北した。

オイスターひと粒

ほら、あなたは勝てるだろうか?

 
夜の帳にはまだ早い。「築地市場食堂」へと移動。鮪の中落ち、真鯛の兜焼きなどを堪能し腹をくちくする。熊の野郎は現役の小屋番で、もうすぐ上高地からヘリコに乗せられて稜線近い小屋に飛ばされる。ヘリコから突き落された後は、何週間も雪を掘って雪を掘って、そして雪を捨てにいって、小屋を掘り出さなくてはならない。道にもステップを切ったりベンガラを撒いたり、夏が終わるまで降りて来る暇もない。だから新鮮な魚介を喰う必要があると力説している。

夕暮れを迎えたようだ。源池の「とんぼ」に行こう。あの綺麗な女将に(と書くには若いが)逢いたい。さらに杯を重ね、新鮮な魚介が、と言い続けている。その後、上土の「彗星倶楽部」へ移ってまた飲む。飲み過ぎて椅子から墜ちかけたりしながら、たしかもう一軒寄って歩いて帰った。この辺は記憶がないが、布団に潜り込みながら午前三時を指した時計に、呆れたことを覚えている。正午前から午前二時ごろまで、延々と飲み続けたわけか。

貴重な休日を飲みつぶれて過ごすなんて、おいらもしあわせだわ。

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そのアロマ、純国産。

南の島に行ったある人物が「土産に」と珈琲豆をくれた。

pkg

ぽんと渡された黒い袋には、Ogasawara COFFEEとある。

小笠原? 東京の島嶼、小笠原の産?

どうやらメイドインジャパンの珈琲というものが存在していたようだ。キッチンでうむむむ、と唸っていたら、10歳の大豆が「パパ知らないのまえにTVでもやってたよ」。なんと。僕はTVをまったく見ないので知る由もないが、せがれの物知りぶりに驚かされる。

豆の様子

袋を明けると、好ましい香りが立つ。深めの焙煎、ちょいといかしたルック&フィール、愛くるしい照り、とても可愛い豆たち。

ミルをセット

ケトルを火にかけながら、ミルにセットして。

実はその男、珈琲だけはちゃんと修行しているのだよ。ここに詳細は書かないが、その男の珈琲は、雑味が無くお湯っぽくもなく粉っぽくもなく美味い。

自慢はさておき挽く。

さあドリップ

フィルターにすり鉢状に。

ケトルから細く、ごく細くお湯を載せて、ゆっくりと円を描く。円というより「の」の字だ。水圧をかけてはならない。あくまでもお湯を、そっと載せる。そして一滴もマグに落としてはならない。湯が粉に吸われ、粉は泡を吐く。膨らみながら湯が行き渡り、この30秒の間にアロマが抽出される。

蒸らしの時間中、くんくんしていると、やがて最初のアロマが、来る。明らかに甘く官能的なアロマが、すっと立ち昇る。その瞬間に湯を吸って膨らんだ粉たちが、ぺくんとへこむ。これが蒸らし終わりの合図。すかさず第2投のお湯を載せていく。この時のお湯も、細く、細く。このお湯が載った瞬間、ドリッパの底から、マグにエキスが落ちる。アロマを溶かし込んだ、かけがえのない珈琲のエキス。このエキスを如何にたっぷりと抽出できるか、これが一杯の珈琲の価値を決める。

 

蒸らし中

湯を吸って膨らみ続ける珈琲粉に、なおもお湯を載せ続ける。フィルターの中の水位を下げてはならない。立ち上がってくる細かい泡を中央に集めながら、泡に含まれる灰汁を下に落としてはならない。マグが珈琲で満たされたタイミングで、まだ湯と珈琲をたたえたドリッパを、マグから外す。

アロマ立つ

香る。この珈琲屋は、珈琲園で樹を育て豆の焙煎までを一貫して行っているのだとか。だからこそ、深い愛情を注いで収穫した珈琲の持ち味を、香りと味わいにまで引き出すことが出来るのだろう。生豆の個性を見極めた最適な焙煎の具合、その後のガス抜き加減、どれもしっかりとした仕事をしている。メイドインジャパン、小笠原の良い珈琲に出会えた喜びに、こころも満たされる。

空になってもまだぬくもりの残るマグを、嗅ぐ。そこにもアロマがたっぷり香る。しばらくの間は、空のマグを顔に貼り付け、くんかくんかくんか、やっていられる。

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南方はるか、テニアンへ。

以前に、僕のまちの道祖神祭りのことを書いた。小正月の行事で、信州では広く行われている「三九郎」という火祭りのことだ。

その時にはあまり意識していなかったのだが、なぜか僕のまちには道祖神が無い。このあたりでは、主だった集落には江戸期に設置された道祖神が辻に立っておられる。うむむ、どこか目立たない場所にあるのか、移されてしまったのか….。

そんな折り、古い地図を見る機会があった。昭和六年、松本市都市計画課の著作という記載がある。図版外の下の方に松本城、薄緑色に彩色した範囲が僕の棲むまち。

町会古地図重ね
あれ。誰も住んでない。一面の桑畑だ。

ぐぬぬぬ。昭和六年当時、僕の棲むまちは町としての姿を成しておらず、桑の木が植えられてお蚕様を養っていたというわけか。まあこれはこれで、生糸の生産と輸出で我が国は近代化を成し遂げたわけだから恥じることではない。とにかく、集落ではなかった為に道祖神が祀られることもなかった、が正解のようだ。

ん? 射撃場?

これは運動公園と法務局のあたりではないか。様子を見に行ってみよう。

射撃場跡
看板が設置されていた。

この日に見つけた設置看板その他によれば松本の地に明治41年11月3日、松本に兵営が完成し大日本帝国陸軍第十三師団隷下の歩兵第五十聯隊が置かれるようになった、とある。僕たちが毎年小正月に三九郎を行うあの広場は、第五十聯隊の射撃場だったということ。

射撃視界
スナイパーズ・ビュー。白い建物は法務局。小高い丘が背後に見える。あの丘からは市街地が一望できるうえに、遠く南アルプスの聖岳まで見晴るかすことが出来るのだ。

公園の樹影
丘の様子。この丘は、うちの坊主たちの遊び場だ。

市街地眺望この丘に向って、第五十聯隊の兵隊さんたちがパンパンダンダン、銃を構えて引き金を引いて、鍛えてきたんだ。

射撃場北側ライン
射撃場の北縁ライン。

射撃場南側ライン
同じく南縁ライン。
聯隊跡地
歩兵第五十聯隊は、少し東の、いまの信州大学旭町キャンパスほか、学校や文化会館があるエリアに所在したらしい。

聯隊跡の石碑
うわ。気付かなかったけれど石碑があった。この真向かいは長野懸護国神社。

護国神社の周囲をうろついてみる。

忠魂碑
大きな石碑、「忠魂碑」とある。

うわ、この字は、海軍大将東郷平八郎元帥閣下のもの。すげえ。

納骨堂
路地の奥には…. 何だろう。

お社のような建物が森の中にひっそりと。

長野県神道青年会(ようするに若い神主さん)に友人がいるので電話で聞いてみた。市内の旧陸軍墓地から移された第五十聯隊の英霊納骨堂とのこと。護国神社でお祀りしてるとか。
納骨堂の扉納骨堂の扉。桜のモチーフが美しい。

護国神社
護国神社境内に移動。この境内に大きな塚のようなモニュメントがあって、『南十字星の下に散華せる 嗚呼戦友』と刻まれた石碑がある。
南十字星碑
この日は、石碑の改修工事の最中だった。

『南十字星の下に散華せる 嗚呼戦友』?
wikipediaその他を読んでみた。
泣いた。

70年前。当地から、この松本はじめ信州各地から南方はるか戦地に赴き、ひとつの島を守り抜こうとした聯隊が在った。しかし、テニアン駐屯の8,100名の守備隊(海軍部隊を含む)は3万を超える米軍の上陸を受けて玉砕、聯隊は消滅した。

島を守り抜くことは叶わず、テニアンは米側に陥ちた。そしてテニアンの隣のサイパンから、その滑走路からは焼夷弾を腹いっぱい抱えたB-29が次々と離陸し、日本中を焼いた。焼き尽くした。街も家もいのちも、灰になった。テニアンを守り抜こうとした歩兵第五十聯隊がほんとうに守りたかったのは、島ではなくて本土の市民のいのちだったのかもしれない。これは僕の感傷だろうか。

【追記】第五十聯隊が玉砕したこのテニアン島の滑走路からも爆撃機は飛んでいる。昭和20年8月6日にエノラ・ゲイ号が、同9日にはボックスカー号がそれぞれ離陸。前者はヒロシマへ、後者はナガサキへ向った。

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目醒めし者よ 悪臭を放て

冬の終わりのある日。

僕は運転中、歌を歌う。真冬は『雪國』。そして『なごり雪』に変わるころ厳寒も緩み、『赤いスイートピー』で春を迎える。リアル季節と完全にシンクロしているのだ。なお本稿とは無関係だが、どの歌詞にも「汽車」が歌われている。

そして一昨日。家路を急ぎながら僕は『赤いスイートピー』を叫んでいたのだ。”このまま帰れない帰れない”と叫んでいる自分に気付き、我が歌声で季節の移ろいを知った。

春、来る。

 

梅のつぼみ
僕の大脳皮質は通年で満開のお花畑なのだが、拙宅の梅の様子を確かめに行ったら、その膨らみも開花にはほど遠い。信州の春は、やはりまだまだだなあ、とため息をついて足元を見やれば、水仙たちがそこら中から芽を出していた。うわ、出てきた出てきた。

水仙

 

そういえば、数年前に近くの山ふところの泉の畔から行者にんにくを数株、掘り上げて移植したものだ。あれはどうなったか….

うおぉ。
悪臭番長
出てる。芽が出てる。

旧blogで書き散らしたことなので再録はしないが、昨年、こいつの葉を数枚掻き採って生のまま醤油漬けにしたのだ。その美味なる味わい、歯ごたえは言語表現の域を越え、猛烈に好ましい悪臭と織りなすハーモニーは文字通り病みつく程。したがって仕込んだ分はすぐに消費されてしまう。舌が求めるものだから追加しようにも庭の株から採れる量では足らず、北信濃産を苦労して手に入れたり。余談だが、自室にて熟成中、ガスを放つのか臭いが凄かった。瓶の中からふつふつと湧き上がり、部屋を満たすのだ。日中は締め切っているため、夕方帰宅すると眼も眩むような、いや気絶しそうなまでに充満した悪臭に「ここは悪魔の酒を醸す地獄の醸造所か?」と思えた程である。

そうか。あの悪臭の日々が再び… (絶句)

今年も仕込むぞ行者にんにく醤油漬け。
悪臭番長、目醒めたならば今年も存分に悪臭を放つが良い。

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ばんめしの愉悦

僕は夜になってから、あまり食べない。

ぼけぇーっと真っ暗な庭を眺めながら、文字通り放心状態で食卓に着いている。マグのウイスキーが空になると注ぐ。ときおり漬物か煮物程度のものをつまむ。干物を焼いたり刺身を盛ったりすることはある。そのうち食べることも飲むことも億劫になって、寝床に潜り込む。むかし眠れない日々もあったが、いまでは泥のように眠る。眠る眠れないはともかく、あまり食べずに夜は更けることも無い。

が、しかし。

僕の胃袋、いや違う、魂があれこれ要求してくることもある。

その時は、肉だった。小間切れとか薄切りとかではなく、塊で要求してきたのだ。むかし観た『はじめ人間ギャートルズ』の場面にあらわれる骨付き肉のように、歯で喰いちぎるやつだ。僕は早速、肉屋でスペアリブの塊、握り拳ぐらいの大振りのやつを2kgほど調達してきた。

001
調理中の画像は無い。でかいスペアリブの塊に塩胡椒を擦り込み、林檎と玉葱の擦りおろしと一緒に冷蔵庫でふた晩寝かせ、フライパンでじっくりと焼いた。可能ならば直火で炙るのが最高なのだが。そして焼き上がった肉の塊を、香味野菜と鶏手羽先の入った大鍋に叩き込み、ことこと、思い出したように火を入れながら4日目にしてようやく人参と玉葱を投入。その翌日になって、つまり肉塊を購入してから一週間後にしてやっと、素揚げした新ジャガを加えカレールーを溶かしたものである。ブロッコリーは、食する直前に下茹で。ああ… なんと長い時間を経てテーブルに載せられたのだろうリブよ。

もちろんウイスキーを舐めながら頂く。
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少し寄ってみよう。肉はぷるんぷるんに柔らかく煮上げられ、スプーンの一撃で崩れてしまう程だ。

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もう少し接近してみよう。大鍋に放り込んだ手羽先は融解し、細い骨だけが鍋の底に沈んでいた。その肉も皮も軟骨も、さらに野菜のエキスも、数日間の煮込みの間に豚肉塊の繊維の奥深く侵入し、味わいを深めている。

この肉は、僕のだ。あなたのではない。この肉を食するのは僕だ。あなたではない。この肉を味わうのは僕だ。あなたではないのだ。

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あさめしの正義

不惑を過ぎて以来、喰うことへの惑い、迷いは深まるばかりである。

何を食するべきか。
如何に食するべきか。
ここに囚われ、逃れることも免れることもままならず、この数年を過ごしている。

前項で触れたように、ひるめしに関しては、僕は答えに近づきつつあるのかもしれない。毎食毎食に確かな手応えを感じ、近頃は「人生の目的はひるめしにある」ということも考えるようになってきたからだ。

その一方で、僕はあさめしを大切にしてきただろうか。時間が無いから、片付けが大変だからなどと理由をつけて、簡単に済ませてしまってきたのではないか。台所の隅で、ガス台の前で、具も海苔も無い茶漬けをすするだけのあさめしに、人生の意味を見いだすことなど出来る筈も無いのに。

そんな折りのことだった。
僕は早朝から雪かきに汗を流し、それこそ鹿島槍の赤岩尾根を真夏の朝に登るのと同じくらいの汗をかいた。中断して朝飯にしようと、まずシャワーを浴び、あたらしいインナーを着込みながらビアを、正確には発泡酒【麦とホップ The gold】という好ましい缶をぷしゅっと開けた瞬間だった。前日の昼飯の折りに揚げた自家製のかき揚げが残されていることに気付いたのだ。
かきあげ

あさめしには、何を食そうか?

自己のこころの奥深く、そっと錘を探り下ろしていくような心のはたらきが、ぴたりとひとつの「答え」を見いだしたのだ。奇跡の邂逅。この表現以外には有り得ない、僕にとってのあさめしの正義との出会い。

前日のひるめしは、讃岐うどんの釜揚げだった。乾麺なのだが食感も小麦の香りも熟成具合も良好な讃岐うどんがあり、常備在庫している。これをひるめしに大鍋で茹で上げたのだが、湯が湧く前にと玉葱と人参のかき揚げをこしらえておいた。当然である。ひるめしに開眼した僕が、かき揚げの無い釜揚げうどんなどという誤った選択をするだろうか。

僕のかき揚げは、玉子を割り込んだ衣で、具材を広げながら揚げる。途中で広がった具材を集めてまとめ、ひとつのかき揚げにする。だからさくさく、かりかり。ところが、最後のひとつだけは残りの衣と具材がどどどどと入るから、ひと回り大きく、ぼてっと重く、しっかりと油を抱き込んだかき揚げになってしまうのだ。

脱線しかけたが、こうして前の日のひるめしだったかき揚げの残り、それも1,000kcalぐらいはたっぷりとありそうな大物が、その朝の僕の目の前にあった。しかも、雪かきに汗を流し、シャワーを浴びたあとのビアの瞬間だ。正確にはビアじゃないけれど。

これ以外に、あさめしの正義など、有り得ないだろう。

写真は割愛するが、残り物の揚げ物を温める時は、オーブントースターに限る。

づけの小鉢

温めている間に、昨夕のびん長鮪の刺身を「づけ」にしておいたことを思い出す。これを皿に盛って海苔をかけておこう。

露をかける
Dugのポットなど、深型で1Lぐらいのクッカーは、汁やソースを温めたりする際に便利だ。麺つゆに味醂と砂糖を忍ばせたやや甘のたれを、そっと。ただしごはんにも染み込むぐらいじゃなくては。

いただきます
残り物の味噌汁も温めて、さて、正義のあさめしをいただきます。

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